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    1.17 x 30

    みなさんこんにちは、Ampを主宰する藤田勝彦です。 すばらしい電気工事業界の魅力を世の中につたえるのが仕事です。

    兵庫県で電気工事会社を経営しています。

    本日は1月17日で阪神大震災発生から30年の日です。

    5:46に神戸市にある東遊園地(公園)にて阪神淡路大震災1.17のつどいに参加してきました。

    当時私は、DXアンテナグループの会社にお世話になり勤務しておりました。23歳2年目です。

    神戸市兵庫区にある本社ビルにオフィスがありましてビルは倒壊するのではと思うくらい大変な状況でした。  自身の自宅は宝塚にあり、それはそれでガスはない、水はないと不自由な思いを色々強いられていました。

    発生当日から私は私で仕事のことどうしようと必死でありましたが、神戸の友達のことなどが気になって、いてもたってもおられず、車に色々な必要であろうものを積んで、避難所や倒壊した自宅などをかけずりまわっていました。 当時もちろん神戸の中心地までは乗り入れできず、道路に止めてそこから背負子に積んで歩いて乗り込んでいきました。 魚崎町に友だちにポリタンクやバケツを届けたときは、本当に喜ばれたのを思い出します。

    父は発生当日どこかへ行った

    当時電気工事屋さんであった父が、1・17発生してすぐ、家族をおいてどこかへ慌てて、車で出て行ったのを不思議に思っていましたが、もちろん今は理解できます。

    兵庫県内の仮設住宅電気工事する事業を父が責任者として(所属団体において)受けて、設備仕様や職人さんの手配やそれらの組織づくりに連日徹夜で奔走、最終的に1500人の作業チームで対応、ご協力頂きながら40000戸の電気工事を完成させたと後に聞きました。

    もちろん父はボランティアです。

    当時は、大震災が起きた時の様々な対応システムが全くなかった中で、仮設住宅電気工事の発注者は国内ハウスメーカー14社となり、最終的に、支払いに関して10億円以上の手形支払いを受けることになり、責任者としてその保証を個人で受けることとなったとのこでした。 今思えば、母に、もしもの時はごめんと、告げていたのを思い出します。

    一昨年9月の父の葬儀で私はこのことを皆さんにこの話をさせて頂きました。

    Ampの活動はここから来たのかな。

    父の何かをクラウドから少しずつダウンロードしていくのかな。

    1月17日に思い出す。

    電気工事の人は世の中のためにつくせるスゴイ人です。

    当時、父に対しご協力頂いた皆様に心から感謝いたします。

    最後までお読み頂きありがとうございました。